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認知症老人のコミュニケーション覚え書き

その(1)「声かけ」のしかた?

どうもこの日本には理念とか思想とかいうものはないらしい。日本人を60 年もやっててやっと今頃わかったのか、と言われそうだけれど。少なくとも社会も人も理念とか思想とかでは動いてはいない。

では何で社会や人が動いているか。どうやらその正体は“ブーム”である。老人介護の制度政策すらブームで決まる。さらに政治もそうで、ブームで政権がコロコロ変わる。

介護現場にもブームがある。ほとんど一過性で、日本中の介護現場が夢中になって研修に押しかけたりしたものも、2年も経つとその名前すら忘れられている。

そのなかで「コミュニケーション」なんてのは珍しく長続きしているブームで、「高齢者やその家族とのコミュニケーションのとり方」なんてテーマの講習会には人がよく集まるという。ただそれも、クレームをうまく処理して裁判沙汰にならないためのテクニックを求めて参加する人が大半らしいけれど。

コミュニケーションを大切にしよう、という命題に異議を唱えている人はまずいない。私にも『関係障害論』という本があって「主著」として挙げられることが多くて、これも「コミュニケーションを大切に」という本の一つだと思われているらしい。

セミナーのテーマも「関係づくりの介護」なんてつけているから、これも「コミュニケーション」の流れだと思われている。ま、そう思ってセミナーに参加してくれるのはありがたい話である。勘違いではあるけれど、それほど大きな勘違いというわけでもないからだ。

私は、「コミュニケーションを大切に」なんて言う気はない。そもそもそうした言い方をする人たちにはア・プリオリに、つまりは無前提的に「コミュニケーション」とは何かがわかっているらしい。それが疑問なのである。

まず語られるべきは、コミュニケーションとは何かということだ。まして認知症老人のコミュニケーションとなると、そこから問題を立てていかねばならない。

今私は「認知症老人のコミュニケーション」と書いた。でも一般的なセミナーのテーマはそういう表現はしないだろう。そのほとんどは「認知症老人との コミュニケーション」となっている。

つまり、コミュニケートする主体としての私たちは、これまたア・プリオリにコミュニケーションが可能であると考えられているかのようである。コミュニケーションが不可能、または困難なのは、その私たちが認知症老人を相手にするという特別な場合であると思われているのだ。ここでは認知症老人は私たちからコミュニケートされる対象でしかない。

でも私のテーマは違う。「との」ではなくて「の」である。私が興味があるのは、認知症老人からのコミュニケーションである。それが私たち、つまり非認知症の側に届くかどうか、私たちがそれを受け止める力をもっているかどうかを問うてみたいのだ。

したがってここでは、「コミュニケーション」は自明のものではない。認知症老人のコミュニケーションとは何なのかが問われるからだ。だって私たちがコミュニケーションだとは思っていないもの、たとえば、「問題行動」として排除、抑圧、無視しているものこそが認知症老人のコミュニケーションだとすれば、コミュニケ ーションを不可能、困難にしているのは私たち、非認知症の側にこそあると言わざるをえなくなる。

しかし“ブーム”としてのコミュニケーションは、私たちのコミュニケーション能力には問題はないことが前提になっている。でも相手は認知症だから、コミュニケーション能力が劣っている。そこで、私たちに必要なのは、劣った能力の人にもわからせるためのちょっとした技術である。それを求めてセミナーには人が集ま る。

さらに私の講座の終了後、次のような質問をする若い人が増えている。

「認知症老人への声かけが大事だと思うんですが、上手な声かけのしかたを教えてください」 私の答えは少々意地が悪い。
「用もないのに声をかけるな」
だってコミュニケーションとは何か用があるからこそ行われるものだろう。用があってそれを伝えねばならない、その結果「声かけ」なのであって、「声かけ」そのものがあるわけじゃない。

そもそもこうした質問の背後には特定の老人観があるとしか思えない。つまり「誰にも声をかけられないでさみしがっている老人」という老人像である。たしかに個別にはそうした老人がいるだろう。でも大多数の老人はもっとたくましく生きてきた人たちだ。もしそんな老人がいたとしても、介護職が「声かけ」することで問題は解決するだろうか?

そうではなくて、誰からも声をかけられることもないという状況そのものを変えることこそが介護という仕事ではないか。

食事、排泄、入浴をできるだけ老人を主体にする方法にしていくこと。そのためには具体的なコミュニケーションが不可欠になるだろう。老人同士の「仲間」と思えるような人間関係をもっていくこと。

そのために介護職は媒介=きっかけになればいい。 家族とのコミュニケーションこそ基本である。面会に来てもらおう。家族がいない、来ない人には特定のボランティアに「家族代わり」になってもらおう。そうして介護職が「声かけ」なんかしなくていい状況をつくることこそ介護という仕事なのである。

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